No.5(2009年) No.4(2008年) No.2(2005年) No.1(2004年) Topページへ
『人類学・考古学の巨人
鳥居龍蔵の足跡を辿る旅』報告
(No.3)2006/06 鳥居龍蔵を考える会 鳥居貞義 岡本正明
(はじめに) |
鳥居龍蔵を考える会では鳥居龍蔵の人類学・考古学の学問的原点となった内モンゴル自治区にその足跡を訪ねて学問的業績を顕彰するとともに同氏を取り巻く家族達が協働作業者としてどの様に関わっていたかを調べている。 |
(*1)2004年「鳥居龍蔵を考える会in 北京」で穏和な話しぶりで語っておられた安志敏先生は惜しくも昨秋(2005年)にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。 |
前回(No.2)は、鳥居龍蔵、きみ子ご夫妻の中国での学問的フィールドワークの出発点となった内モンゴル自治区にある清代旧カラチン親王府を訪れ女学童 教育から始まり鳥居龍蔵による紅山文化の研究・契丹族の遼代皇帝陵(慶洲3王陵)と契丹帝国の開祖・耶律阿保機の首都臨?府遺跡及び遼上京博物館などを訪 れ、学問的足跡を辿る旅として2005年7月初旬に行い報告書にまとめた。 |
清代蒙古王府博物館前で左より 清代蒙古王府博物館前 遼上京博物館前で左より 鄭館長、岡本、鳥居、呉副館長 グヌンサンノルブ親王 王館長、鳥居、岡本、郭 |
今回(No.3)は2006年6月2日(金)から8日(木)にかけて北京と内蒙古に行った。前半の6月2日〜4日は徐福国際学術討論会に出席して北京に滞在し、後半の6月5日〜8日は鳥居龍蔵関連で内モンゴル自治区の |
[1]清代旧カラチン親王府(赤峰)、[2]巴林左旗上京博物館(林東)、 |
今回の旅は団長格の鳥居貞義さんと和歌山潮岬の古代史研究家の木村正治さん、コーディネータの郭仁太さんと小生の4人旅であった。今回の取材目的は、前2 回が鳥居龍蔵博士の学問業績の顕彰ときみ子夫人はじめ一家が協働者としてどのように関わってきたかについて“点”の観点でとらえてきたが、今回は前回の フォローも兼ねて“線”へとつなげる作業となった。 |
[1] 6/5(月)旧カラチン親王府の中国清代蒙古王府博物館に鄭館長、呉副館長を訪問 |
ここでの課題は鳥居龍蔵夫妻が旧カラチン王府訪問百周年記念として |
A.鳥居龍蔵一家の日本画贈呈とテレビインタビューについて |
清代蒙古王府博物館前で肖像画贈呈/王府内中庭でカラチンテレビインタビュー |
B.呉副館長、北京→カラチン間自転車踏査について |
北京→カラチン間、自転車踏査再現/資料袋と旗 グヌンサンノルブ王と王宮 下は喀喇泌(カラチン)王府鳥瞰図 |
C.徳島県立鳥居龍蔵記念館との連携事業について |
[2] 6/6(火)巴林左旗(林東)遼上京博物館に王未想館長を訪問 |
林東は契丹(Qidan)帝国(遼代)の開祖・耶律阿保機(Yelu Abaojiやりつ・あぼき*2)が首都と決め、ここ上京臨?府でハン位に就いたのが907年のことである。 |
(*2) [872〜926]中国、遼(りょう)の初代皇帝。在位916〜26。廟号(びょうごう)は太祖。唐末の907年、契丹八部を統一してハン位につき、のち 皇帝となった。しばしば長城を越えて華北に侵入。西方の諸部族を征服するとともに、926年渤海国を滅ぼし、中国東北部からモンゴル高原を支配する一大帝 国とした。) |
祖陵の近くで シラムレン河で砂と水を体感する |
墓域に到着した頃に雲行き悪く激しい夕立となり急いで林東に引き返す。夕立は林東のホテルに入り王館長との夕食中も降り続き、約3時間に及ぶ大雨であっ
た。王館長の言によればこの雨で電気工事が中止となり通電する可能性があるとのことで、通電すれば特別に博物館を見せましょうとの快諾を得る。 |
遺跡から出土した碁石 石棺の上に描かれた北斗七星(八星) |
[3] [4] 6/7(水)巴林右旗博物館(大板)に立ち寄り石館長と青格勤副館長を訪問 |
昨年七層八角仏塔の白塔と慶陵(遼3王陵)訪問時に大変お世話になったところである。今年8月には京大隊とテレビ朝日が共同で3回目の調査に入る予定とのことである。石陽館長の好意で同博物館を見て一路赤峰博物館へと向かう。 |
(*3)紅山文化について (赤峰博物館に掲示されていた英文解説) |
[5] 6/8(木)北京大学に呉茘明教授(女性)と夫君の友麒教授を訪問 | |
呉茘明教授は環境科学系の教授で戦中・戦後の一時期鳥居龍蔵夫妻の孫娘の鳥居玲子さんとの幼馴染の間柄で、今回の再会の予定が果たせなかったので写真等を受け取り往時をしばし回顧する。ご夫妻の案内で北京大学構内を散策後、考古博物館を再訪する。 |
|
呉・楊先生夫妻と北京大学キャンパスで 呉さんに新著『徐福さん』を贈呈 北京大学国際交流センターで |
|
呉茘先生から玲子さんへ贈った写真 燕京大学附属中学校時代の記念写真 前列左端;呉茘明先生、三人目玲子さん |
『燕京大学人物誌』の表紙にある給水塔前で 池と共に燕京大学(現北京大学)のシンボル |