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続 「新徐福考」




徐福友好塾 代表 鳥 居 貞 義
 「文熱のすすめ」

 私はサラリーマン時代に「経熱」即ち中国ビジネスに取組んできましたが、会社卒業後は「文熱」即ち中国との文化交流に取組んでいます。

 具体的には徐福伝説と七夕伝説及び考古学者鳥居龍蔵を通じて中国と文化交流する事です。

 私の徐福に関するテーマは「徐福浪漫を科学する」即ち、徐福研究に科学を取り入れることであります。
タイトルを続「新徐福考」としたのは2002年日本で、2006年中国で開催された国際徐福研究会で提案したことを別の切口で提案しようとしています。繰返し提案するのは「継続は力なり」というわが師の教えに従ったものであります。



テーマ(1)

徐福東渡の痕跡を科学的根拠に基づいて見つけることです。

  そのためには考古学だけでなく医学(DNA鑑定)、建築学(度量衡)等々、全ゆる分野の学者を仲間にして衆知を集める必要があります。私は出雲巨大神殿で 一躍有名になった宮本長二郎教授(東北芸術工科大学)や高崇文教授(北京大学、考古学)の他に、若手の学芸員(弥生文化博物館等)とも度量衡、半両銭など 具体的課題について情報を交換しました。

 徐福東渡の証拠を見つけることは今後、何年もかかる大変難しい事だと思われます。それ故に衆知を結集すること及び次世代に引き継ぐことが重要であります。

 徐福東渡の物証は「連弩」「半両銭」「木簡と竹簡」に手掛かりがあると考えています。


「弩」、「連弩」について

『史記』には徐福が2度目に出発したときには「海中の怪物(鮫?鯨?)の妨害を避けるために始皇帝に要求して連発武器(連弩)を積み込んだ」と記されています。

  「連弩」はどのようなものであったのでしょうか。多量に発見されている始皇帝墓を警護する兵馬俑の中に徐福一行が持ち込んだものと同じと類推できる「連 弩」はないのでしょうか?海中の怪物と闘うというのは徐福の作り話と考えると徐福一行は「連弩」はほとんど使用することなく蓬莱の国(日本)に到着(漂 着?)した筈であります。

 ネット(Wikipedia)で検索した段階では「始皇帝陵の兵馬俑坑からは保存状態の良い「弩」がいくつも出土したと言う記録はあるが」との記述がありましたが、兵馬俑坑資料館でようやくは見つけたのは土の中に半ば埋まっている「弩」の写真1枚だけでした。
兵馬俑資料館










上部右側の写真 兵馬俑資料館(西安)



 「連弩」そのものを発見することは困難としても日本で一部分でも発見されれば「連弩」に使用されている素材を比較研究することで共通点の有無を調べることは可能です。

 兵馬俑の中に徐福一行が持参したものと同類と推測できる秦時代の「連弩」が存在するのかどうか?その形状と素材についての中国側からの情報を期待しています。


「半両銭」について

  熊野で秦時代のものと思われる「半両銭」が発見されていることも物証の大きな手掛かりです。7、8枚発見されたと言われながら現在は1枚しか公表(熊野市 歴史資料館蔵)されていないのは誠に残念なことであります。民間でほとんど意味なく秘蔵されている筈ですから先ずそれを見つけることから始めてはどうかと 考えています。
半両銭
 













「徐福伝説の里を訪ねて」熊野市観光交流課発行


 発見した人、資料提供を した人を記名して資料を熊野市で保管するなどの広報活動を活発にして"お宝探し"を大々的に実施しては如何でしょうか?徐福ブームが始まろうとしている今 がチャンスです。これは勿論日本側の問題ですが、科学的分析及び中国に保存されている秦代の「半両銭」との比較が必要です。

 資料『徐福 伝説の里を訪ねて』熊野市発行によると1997年と2002年に中国の学者が鑑定したところ中国秦代の古貨幣「半両銭」と判明したとありますが、鑑定人及 び鑑定結果の具体的資料は示されていません。又、8枚あればその内の1枚をより高度で、詳細な科学的分析に供することが出来ます。


「木簡と竹簡と墨」について

秦 代の文字は木簡に書かれていた。始皇帝の焚書で多くの記録が焼失しましたが、「徐福一行が焼失前の木簡を多量に持ち運んだ筈なので、中国には無い貴重な資 料が日本に有る筈だ」とその発見を期待している人がいます。そのためには先ず、日中双方で木簡、竹簡及び墨の素材の分析から始めなければならない。


広報活動の提案

 最初に徐福研究には衆知を結集することの重要性について述べましたが、そのためには日中両者が分担すべき広報活動があります。



テーマ(2)西安兵馬俑徐福資料館の設置

  兵馬俑資料館へは過去20年の間に3回訪問しました。見学の度に資料館が拡充していることに喜びを感じていますが、始皇帝と徐福とは深い関係にありながら 資料館には徐福に関する資料や記述はほとんど見られません。是非中国の徐福研究者の尽力で徐福資料館を併設して頂きたいと思います。年間数万人の日本人観 光客が見学していると云われています。中国内での徐福に関する知名度がどの程度か不明ですが、日本国内の知名度は残念ながら極めて低いのが実情です。兵馬 俑徐福資料館の設置は日本人に大きな影響を与えることは間違いありません。
兵馬俑徐福資料館









 兵馬俑館(西安)正面にて




テーマ(3)日本の教科書に掲載

  徐福東渡のことが中国の正史である『史記』に書かれている史実及び徐福が東渡した先(日本)に徐福に関する伝承が数多く残されているという事実を日本の教 科書に掲載することによって事実解明を若者に託さなければなりません。これは明らかに日本側がやるべきことで、このことも早くから主張していることです が、最近新しい取り組みが出来つつあることを奈良徐福研究会の益田宗児氏から聞きました。



テーマ(4)国際事務局の設置に関する提案

 両国の各地で開催されている徐福研究会が一覧できるホームページをインターネット上に設定し、両国民がそれぞれの国語で自由にアクセスできるようにする。



終りに

 2005年、多くの徐福研究者の協力を得て、日本、中国、韓国に現存する徐福伝承地に関する記録を収録し『徐福さん』という本を編集発行しました。これは徐福研究 者にとって必読の本になるものと確信しています。特にこれから研究を始めようとする人たちにとって、徐福研究は大変奥の深いものでありますからこの本を出 発点として次の研究に進まれることをお勧めします。
『徐福さん』
 








2005年 徐福友好塾発行
詳細:http://www1.ocn.ne.jp/~nestbook/


本日は次の研究を進める上での課題の一部を提供させて頂きました。更に、これらの課題解決には国際協力が是非必要であります。この会議がその第一歩となることを心から願っています。






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