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ま え が き
『ふるからーがゆく』改訂版発行に際して
―会社の卒業論文を提言―

  大学で文科系の学問を学んだ者は僅か二年間の研究で卒業論文を纏めている。しかも大半は就職を意識しながら片手間に仕上げていると言っても過言ではない。私の卒論も探求が浅く、大学にいつまでも保管されているかと思うと気恥ずかしい限りである。
会社生活は終身同一職場であった場合、三十有余年だから仮に「会社の卒業論文」を書けば、少しは世間でも評価されるものが出来ると思う。現に私の同僚で あった土居康男さんは米国駐在期間に学んだことを会社卒業後に纏めて、京都大学から博士号を取得された。私がこの本に纏めた内容はそんな立派なものでは決 してない。しかし、会社の「卒業論文を書き残す」と言う文化を流行らせたいと真面目に考えている。だからあの程度のものであれば“私の方がもっとマシなも のが書ける”と思って頂ける方が有難い。
先ずは会社を「定年退職」すると言うような後ろ向きの表現ではなくて、会社を「卒業」すると言う表現を十五年以上前から流行らせることに精出している。お 陰で松下グループ内では大分定着して来たようだ。「言葉を流行らせる」と言うことはお金もかからないし、成果が出ればこれほど楽しい趣味は無いと考えてい る。
私の親戚で考古・人類学では世界的にも著名な人(鳥居龍蔵博士)が居て、百年近く前と言う時代背景もあって、新語、造語を数多く生み出している。どれくら いあるか調べようと思って、鳥居龍蔵の業績をフォローして居られた、元国立民族学博物館館長の佐々木高明先生に協力をお願いしたら、例えば「有史以前」と 言う言葉を始め、数え切れないほどあると言う返事だった。
話を元に戻すと、「会社卒業アルバム」も自分で作った。仲間がブラックジョークを込めた私製の「松下電工卒業証書」も作ってくれた。これら「会社卒業」に かかわる卒業三点セットは、学校のものが無味乾燥である(今はどこにあるかも分からないので見直したこともない)のに対して、いつ見てもそれなりに楽しい ものである。会社の卒業論文がある程度(三百点位)揃ったらタイムカプセル(*)に入れて五百年後に残したいと考えている。
ところで、この改訂版は十年前に『ふるからーがゆく』と言うタイトルで発行したものを、表題を『松下電工卒業論文』に変えて発行したものである。社内で後 輩の参考になればと思って、販売戦略生々しい中身を、実名で書いていたので、『松下電工卒業論文』とすることは憚られたが、十年が過ぎ、当時の販売戦略も 今では記録でしか意味がなくなっていると思われるので公表することにした。先ずは松下グループの人に読んで頂ければ幸いである。更に元部下の尾崎泰国さん が会社を卒業するに当たりユニークな小冊子『開発に、不況なし』を発行したのを知って、合本して『松下電工卒業論文』とすることにした。私の不足分をよく 補ってくれている。
私の『ふるからーがゆく』は未だパソコンが普及していないワープロ全盛の時代にワープロで原稿を書き、自分で編集した手作り作品である。大部分は当時の版 をそのまま使っているので、字体も手作り感のあるものになっている点は後で発行した尾崎さんのものと違っている。更に尾崎さんのものは横書きで、しかも一 頁ずつが夫々完結した文章になっているので、従来私が発行した本がそうなっているように「両開き」と言うオンリーワンのユニークな編集とした。尾崎さんの フォローがあって、このユニークな編集を継続出来たことに改めて謝意を表する次第である。

二〇〇五年八月吉日
鳥居 貞義
(*)タイムカプセルについて
情報化時代と言われ、情報が氾濫している現代において、例えば、二十世紀末、二十一世紀初頭の庶民の生活がどのようなものであったか、五〇〇年後に残され る情報はほとんど無い。この情報を残す方法は薬品を使わない手漉きの和紙に油煙から作った墨で、糊を使わない「和とじ」の本にするか、現代科学の粋を集め て作製したタイムカプセルにして残すしかない。前者の方法でも実績的に千年位は残せると思うが焼ければ万事休すである。創業者の二百五十年説に因んで、二 百五十年後に開ける目的で松下電工の社内にタイムカプセルが埋蔵されている。その時私は墨で書いて和とじにした冊子を入れてもらった。
 会社を卒業したときに、偽りの無い庶民の歴史、例えば自分史をタイムカプセルにして後世に残すことを提唱した。残念ながら未だ実現出来ていないが、機会を見つけて実現出来ることを願っている。
 大阪万博の記念に松下電器が毎日新聞社と共同でタイムカプセルを企画・制作して大阪城内に埋蔵したときの予算が二億円と聞いている。約三十年後に実現し た松下電工のタイプカプセルは小型化と非酸化技術、カプセル素材の技術の進歩で3千万円位で出来ている。三百冊の卒業論文を埋蔵したいと言うのは一冊の埋 蔵費用を十万円と想定している。
   

「ふるからー」がゆく 初版 より

ま え が き

  私は『記録』というものに長年こだわっています。
アリストテレスは「あらゆる人間は知ることを欲す」と記述しているそうです。神代の昔からの真理であり、人の人たる所以、即ち、今風に言えば人間の持つアイデンティティーでしょう。であれば、正しい記述〔記録〕が必要となります。
私が記録にこだわりを持ち始めた動機は、約20年前に初めてタイへ出張した時に、山田長政に興味を持ったのが始まりです。最初はひょっとしたら彼は我々ビ ジネスマンの先輩として、タイに駐在していたのではないかと親しみをもって調べたのですが、出生地と噂される所が4ヵ所もあったり、死亡した場所も特定出 来ません。どのようにしてタイに渡ったのか。又タイにおける彼の働きも、当時のオランダ人商務官の日記に頼るしかないのです。全てはそんなに昔ではなくて わずかに400年前のことなのです。
 中国を担当するようになって『徐福』のことに興味を持ちました。2200年前に秦の始皇帝の命によって、不老不死の薬を求めて蓬莱の国を目指して 3000人の男女を連れて船出したという記録が中国にはあるのですが、流れ着いた日本には新宮、富士山麓、九州各地、舞鶴等20ヵ所も伝承がありながら、 定かな記録がありません。
  ビスマルクは『賢者は歴史に学び、愚者は体験のみでのみ学ぶ』といったそうです。また、バルザックは『偽り多き公史、恥多き自叙伝』と書き残しているそうです。
  私は『歴史を作る人は、偉人。歴史を記録する人は、職人。歴史を書き換えるのは、悪人』と思います。偉人にはなれません。悪人にはなりたくありません。それならせめて職人になりたいと思っています。ではこの場合の職人芸が目指すものは何でしょうか。
  歴史を記録する上で大切なことはまず第一に正確であることです。
司馬遷の史記はよく書かれていると言われています。それでも邪馬台国のように後世解釈論争を起こしているのです。その解釈は残念ながら推論の域を出ませ ん。推理の大家松本清張の推論し、仮説を立てたのですが、その後の発掘で新しい事実が出たために自説をギブアップしたといわれています。
  大岡昇平は『ビルマ戦記』を正確に記述するため、生涯真実を求めて、新しい事実が出るごとに書き変えることに努めたと言われています。私もそのことに 努めたいと思いますので皆さんが知っている部分と違っていたり、ここに記されていない重要な記録や、より詳しい記述があれば、是非お教え頂きたいと思いま す。
  この小著を発表するに当って會てアジア貿易部時代にともに苦労した尾崎泰国さんに、記録についての校正の労を取ってもらった事を記して謝意を表します。

 1996年12月   
     鳥居貞義

序 文

  最近、「歴史認識」という言葉をよく耳にします。どうも日本人は、目先のことには興味や関心を示すが、過ぎ去ったことにはあまり頓着しない、どちらかと言えばマイナス・イメージの言葉で聞こえます。つまり日本人はあまり歴史を大切にしない、ということなのでしょうか。
  この書の著者、鳥居さんは稀にみる「歴史」とりわけ「記録」にこだわり続けてこられた人です。彼と私は長い間の社会生活のうち大半の期間を同じ分野で 仕事をして来たこともあってよく知っています。お互いに「歴史にこだわる」ということについての考え方を同じくしていた仲間の一人です。ただ、細かくいえ ば、彼自身が本文でも語っておられるように、歴史の「記録」という所に対し、私はどちらかというと、歴史の流れの方にこだわっているという違いがあるのか も知れません。
  現在、世界には大別して3種類の配線機器が存在しています。それらはAタイプ(平栓刃)、Bタイプ(角ピン)、そしてCタイプ(丸ピン)と呼ばれてい ますが、それぞれの生まれ故郷から独自のルートをたどって世界中に流れ拡間って行きました。私はその流れを配線器具の「シルクロード」と呼んでいます。
  先ずAタイプ、ご承知の通りアメリカで、かの有名なエジソンが電球と一緒に発明しました。そして一八八二年ニューヨークで配電事業をはじめて行なった という記録があります。そのエジソンが作った配線器具が東芝50年史によると、アメリカGE社から輸入品として日本に入り、やがて国産化されて日本に定 着、更に日本と歴史的につながりの深かった韓国、台湾へと誕生の地アメリカから太平洋を西に廻って伝播して行きました。
  一方Bタイプ。時を同じくしてロンドンで、エジソンとは別の人が配電事業を始めました。その後この配電事業はヨーロッパの何処のメーカーがどのように 作りどのように発展させたか定かではありません。鳥居さんはこの辺りの歴史的記録を探求することにこだわられるのですが、私はその辺りを曖昧にしてもBタ イプがイギリスに端を発して、インドを経由し、シンガポール、マレーシア、香港と海のシルクロードを伝わって東進して来たという流れに興味を感じます。
  更にCタイプ。ヨーロッパ大陸においてはどういう理由かわかりませんが、Cタイプ(丸ピン)がドイツに端を発して中近東を廻り陸にシルクロードを伝わって東進してきました。
  かくして、東西からのシルクロードはベトナム、カンボジア、中国辺りでAタイプ、Bタイプ、Cタイプが混在し、終着駅となっているという興味ある様相を呈しています。
  以上が歴史を「流れ」でみる私流の一例です。
これにいろいろな歴史的記録を収集してこのシルクロードの存在を実証したら面白くなると思っています。そして、これができるのが記録にこだわる鳥居さんの炯眼だと確信しています。
  この著書は「ふるからーがいく」という標題で書かれていますが、フルカラー配線器具の海外、東南アジア進出戦略の書というよりも、著者が二十年近くに わたって探求された国ごとの電材ルートの生い立ちをフルカラー配線器具に道案内させて正確に記録されたものになっているように思います。
  過去を正しく知り、現在の位置を正しく認識し、間違いない未来を予測する戦略企画の鉄則の道案内に精読していただきたいと思っています。

南部敬之 

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